山田肇氏の記事『AIは障害者を排除し包摂する』を読んだ。
この記事は人工知能を使った機械が障害者へ及ぼす影響について述べられている。
その記事の中で、複数の障害を持ち読み書きもできないため今までコンピュータを使用していなかった男性が、スマートスピーカーでネットにアクセスできるようになり、知識の海にたどり着いた
と紹介されている。
読み書きが出来ないということは、視覚障害と身体障害を持っていると推察するが、そんな重度障害者の、活動の幅を著しく広げる人工知能機器の力には驚かされる。
そして私は、「人工知能は障害者と社会の関係を大きく変える」と考えついた。
障害というのは、「障害か、個性か」という屡々なされる議論が提示するように、人や社会基盤がうまく対応すれば、その障害は個性と呼べるものになる。つまり障害とは、「社会環境への相対的な評価」なのだ。
山田氏の記事で紹介された様な人工知能機器が、技術の成熟と価格の低下が進んで誰もが持つ普遍的な道具となれば、それは社会基盤の一つとなる。障害者にとってそんな社会は、障害の無い世界として映るだろう。そうなれば彼はもはや障害者ではない。
人工知能技術は、それだけで障害の全てを包摂出来る訳ではないが、その技術は将来、障害の定義を変える事になるたろう。